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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)1959号 判決

原告

八木昭興

右訴訟代理人

雨宮正彦

被告

桑山弥三郎

被告

柏書房株式会社

右被告両名訴訟代理人

岡田啓資

外三名

主文

原告の被告らに対する請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

〈前略〉

第二 当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和四四年及び昭和四五年に、別紙第一目録記載の「ヤギ・ボールド」、「ヤギ・ダブル」、「ヤギ・リンク・ライト」及び「ヤギ・リンク・ダブル」と称する各一連の装飾文字(厳密にいえば、文字のほか数字、記号等を含む。)をデザインして、これを著作し、その各個の文字等の書体(以下「本件各文字」という。)について著作権を取得した。仮に、本件各文字についての著作権の取得が認められないとしても、原告は、前記「ヤギ・ボールド」、「ヤギ・ダブル」、「ヤギ・リンク・ライト」及び「ヤギ・リンク・ダブル」と称する各一連の装飾文字の書体のセツト(以下、「本件文字セツト」という。)すなわち別紙第一目録AないしD記載のとおり配列されたアルフアベツト文字、アラビヤ数字及び付属物(句読点その他の印刷記号)の書体の一組(一揃い)について著作権を取得した。

2  被告桑山は、「ニユーアルフアベツト」及び「装飾アルフアベツト」と題する各著作物を著作し、被告会社は、被告桑山との出版契約に基づき、昭和四七年九月一日右各著作物を発行し(以下、その出版物を「被告ら出版物」という。)現にこれを継続している。

被告ら出版物には、別紙第二目録記載の部分に本件各文字が複製され、また、同目録A・4、A・6及びB・2の部分に、本件文字セットの全部又は一部が一連のセツトとして複製されているが、そこには著作者である原告の氏名が表示されておらず、また、そもそも原告はその複製について被告らに許諾を与えていない。なお、本件文字セツトの全部又は一部が一連のセツトとして複製されている点について補説すれば、被告ら出版物中右目録記載部分のうち、(イ)A・4の部分は、別紙第一目録A記載の「一連のセツト」のうちのアルフアベツト文字の一部を省略し、数字及び句読点その他の印刷記号の配列を変えたにすぎず、(ロ)A・6の部分は、別紙第一目録B記載の「一連のセツト」のうちのアルフアベツト文字の極めて一部を省略し、数字、句読点その他の印刷記号の配列を多少変えたにすぎず、また、(ハ)B・2の部分は別紙第一目録C記載の「一連のセツト」のうちのアルフアベツト文字は全く同一で、僅かに数字、句読点その他の印刷記号の配列に軽微な変更を施したにすぎず、いずれも複製というに妨げない。

3  被告らは、被告ら出版物の発行が本件各文字ないし本件文字セツトについて有する原告の著作権及び著作者人格権を侵害することを知り又は過失により知らないで、前記のとおり被告ら出版物を発行したものであつて、被告ら共同して原告の右著作権、著作者人格権を侵害したから、それにより原告が本訴提起の日である昭和四九年三月一五日までにこうむつた損害について連帯して原告に対し賠償する義務がある。

原告は、右著作権の侵害により、通常受けるべき使用料相当額の損害をこうむつたというべく、本件各文字及び本件文字セツトの著作物使用料は掲載一ページ当たり金一万円を下らないから、原告のこうむつた損害は六ページ分合計金六万円となる。また、右著作者人格権侵害により原告のこうむつた精神的苦痛を慰藉する額は、金一〇〇万円が相当である。

4  よつて、原告は、第一次的に本件各文字の、第二次的に本件文字セツトの、各著作権及び著作権者人格権に基づき、被告会社に対し、被告ら出版物のうち別紙第二目録記載部分(ただし、本件文字セツトの著作権、著作者人格権を原因とする請求については、別紙第二目録記載A・4、A・6及びB・2の部分)の発行の差止、被告ら出版物及びその紙型のうち別紙第二目録記載部分の廃棄を求め、被告らに対し、損害賠償として右合計金一〇六万円及びこれに対する、本件不法行為の後であつて、本件訴状送達の日の翌日である昭和四九年四月一四日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。

二  被告らの答弁及び主張〈省略〉

三  被告らの主張に対する原告の反論

(一)  本件各文字及び本件文字セツトは、いずれも著作物であるために必要な三要件を具備し、美術の著作物に該当するから、これらをデザインした原告は、著作権、著作者人格権を取得したものということができる。

(二)  思想又は感情の表現について

ここに「思想又は感情の表現」とは、単に事実自体又は機械的製品を排除する趣旨にすぎず、結局は「精神的労作の所産」というに等しい。本件各文字セツトは、アルフアベツト等を素材とするものではあるが、これに独創的な形象化を施した一個の美的表現であつて、原告の精神的労作の所産である。

たしかに、記号としての文字は、思想又は感情の表現ないし伝達手段であつて、本来、思想又は感情の表現形式ではないこと、被告ら主張のとおりであり、この意味において、「文字は読むための手段」であるということはできよう。しかしながら、このような記号としての文字を素材として、一個の美的表現を創作することはもとより可能であり、この場合には、文字は単なる思想又は感情の表現手段たることを超えて、思想又は感情の表現形式自体に転化する。いわば形象としての文字になるのである。

いわゆる「書」や「花文字」は、まさにこれに該当するものであり、それ故にこそ、著作物性を取得する。いわゆるデザイン書体についても、同様に解すべきである。「企業は、社名、品名をすべて他社から判別できるようイメージを統一した書体で広告等に利用することを望む」といわれているが、それ自体で社名、品名をすべて他社から判別できるようイメージを統一した書体であれば、それはもはや単なる記号としての文字、思想・感情の伝達手段たる文字であるにとどまらず、一個の独創的な美的表現、すなわちそれ自体が思想・感情の表現形式たる性質をも具有するに至つているものということができる。そして、この場合に、被告ら主張のように、文字の特殊性を強調することは妥当でない。敢えて文字の特殊性をいうとしても、それは、記号としての文字と形象としての文字とが基本的構成において同一であるという点にとどまるべく、製作者の精神的労作の所産たりうるデザイン書体一般について、それが記号としての文字と基本的に同一の構成をもつという理由、換言すれば、それを読むこともできるという理由だけで、思想・感情の表現形式たる性質まで否定すべきものではない。要するに、デザイン書体について著作物性を肯定することは、現行著作権法の基本原則からいつて、むしろ当然のことであり、一方で「書」には著作権の成立を認めながら、他方でデザイン書体にはこれを否定するという考え方は、論理的一貫性を欠き、失当というべきである。

(三)  創作性について

著作物の要件たる創作性は、各種工業所有権法における新規性と異り、他の著作物の模傲ではないという消極的価値判断をもつて足りるものというべきところ、本件各文字は、原告がデザイナーとしての知識、経験及び技術を駆使して製作した書体であつて、その表現に創作性が認められるべきではない。なるほど、デザイン書体は一般に、被告ら主張のように、その基本的構成において、記号としての文字と同一であることは否めない。しかし、このこと自体は、著作物性を肯定される「書」や「花文字」にも妥当することであつて、この一事により、すべてのデザイン書体につき創作性を否定することは許されない。

かりに、本件各文字の全部又は一部につき創作性が認められないとしても、一連のセツトとしての本件文字セツトに創作性があることは明らかである。

(四)  美術の範囲について

本件各文字及び本件文字セツトは、いずれもデザイン書体であつて、応用美術の分野に属するものではあるが、同時に純粋美術にも該当するから、著作権法上美術の著作物ということができる。

すなわち、著作権法は、応用美術に属するものであつても、それが純粋美術としての性質をも兼有すれば、美術の著作物にあたるという建前を採つている。なるほど、著作権制度審議会答申説明書によれば、「実用品自体であるものについては、保護の対象をいわゆる一品製作の美術工芸品に限定し、量産される実用品は、それが美的な形状、模様あるいは色彩を有するものであつても、著作権法による保護の対象とはしない。」とあり、また、「たとえば家具、食器類に係るいわゆるプルダクト・デザイン等は、現段階としては、著作権法による保護の対象としないこととする。」とあつて、これが現行著作権法の基調をなすものであるとはいえるであろう。しかし、右の説明からいつても、著作権法による保護対象から除外されているのは、「実用品自体」又は「プロダクト・デザイン」であり、しかも、これらに著作権法による保護が否定されるのは、それが、大量製作を予定される量産品だからではなく、まさに物品の形状の考案(すなわち、アイデイア)を保護対象とする意匠法の規制領域に属するものだからである。そして、このことは、現に右答申説明書においても、応用美術について、「絵画、彫刻等と同様に美的な製作であるものが、実用に供され、あるいは産業上の利用を目的とするからといつて、著作物としての保護を全く与えられないとすることは、適当でない。」、また、「図案その他量産品のひな型または模様として用いられることを目的とするものについては、それが物品に応用されることを目的とする点を除外すれば、美術の範囲に属する著作物として考えうるものを保護すること」と各説明していることからも明らかである。つまり、「量産品のひな型または実用品の模様として用いられることを目的として製作されたものであつても、それが同時に純粋美術としての絵画、彫刻等に該当するものであれば、美術の著作物として保護を受けうる」とするのが、現行著作権法の建前であるといつてよい。

ところで、原告の本件各文字及び本件文字セツトは、いまさら言うまでもなく、実用品である印刷用活字でもなければ、またプロダクト・デザインのように物品の形状の考案でもない。まさに、アルフアベツト文字を素材とする一個の美的表現にほかならず、この点においては、被告らも著作権の成立を認める「書」と何らの逕庭なく、美術の著作物ということができる。

(五)  被告らは、国際的にもタイプ・フエイスについては著作権の保護が及んでいない旨主張し、「タイプ・フエイスの保護及び国際寄託に関するウイーン協定」制定の事実を援用する。たしかに、同協定は、タイプ・フエイスの保護に対する社会的要請と著作権による保護領域とのギヤツプを埋めるためのものであるといえよう。しかしながら、右協定は、締約国に対し(a)特別の国内寄託制度の設定、(b)国内の意匠法の規定する寄託制度の準用、(c)国内の著作権規定、の全部又は一部により、タイプ・フエイスの保護を確保すべき義務を課するものであつて、これによつて保護されるタイプ・フエイスの範囲は、現行著作権法に基づくものより拡大される可能性はあるとしても、現行法上、いかなるタイプ・フエイスに対しても、それがタイプ・フエイスなるが故に著作権による保護が及ばないことを前提とするものではない。したがつて、右協定制定の事実は、現行法上タイプ・フエイス一般につき著作権による保護が与えられていないことの証左となるものではない。

(六)  のみならず、被告桑山は、かねてからデザイン書体ないしタイプ・フエイスの法的保護について、極めて熱心であつた。すなわち、同被告は、日本タイポグラフイ協会の書体著作権委員である。また、同被告もその構成員の一人である書体デザイナーグループは、「タイポス」と称するタイプ・フエイスを製作し、ある業者を通じてその文字盤を販売しているが、右グループは当該業者からの文字盤の売価の三割三分に相当する印税を受け取つている。さらに、被告ら出版物の各扉には、「同書に掲載したアルフアベツト書体には製作者、著作権者がいること、したがつて書体を使用したい場合は許可をとること」と明記されており、「ニユーアルフアベツト」一四頁には、「アルフアベツト書体の著作権」と題する論説さえ掲載されている。これらの事実からすれば、被告らは、デザイン書体ないしタイプ・フエイスにつき著作権による保護があることを、自認しているものということができよう。

第三 証拠関係〈省略〉

理由

一原告の被告らに対する本訴各請求は、いずれも、本件各文字ないし本件文字セツトが著作物性を有すること、換言すれば、著作権法第二条第一項第一号所定の著作物たる要件をすべて具備することを、その請求を理由あらしめるために必要な原因の一部とするものである。

そこで、まず、原告がデザインしたと主張する本件各文字及び本件文字セツトの著作物性について、検討することとする。

二本件各文字及び本件文字セツトは、原告の主張それ自体から明らかなとおり、いずれもデザインされた文字の書体、すなわちデザイン書体であるところ、デザイン書体は、一般に、著作物性を有しないものというべきである。その理由は、以下に説示するとおりであり、これが説示に反する趣旨の、〈証拠〉にみられる見解は、当裁判所の採らないところである。

1  現行著作権法は、その第二条第一項第一号において、著作物を「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」と定義し、ある作品が著作物であるためには、少なくともそれが文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものであることを要求する。そして、デザイン書体が一般に文芸、学術又は音楽の範囲に属するものでないことは、ここに縷説するまでもなく明白であり、また本件当事者間においても争いがない。したがつて、デザイン書体が著作物性を有するといえるためには、それが著作権法上美術の範囲に属するものでなければならない。

2  著作権法上「美術」とは、原則として、鑑賞の対象たるべき純粋美術のみをいい、応用美術でありながら著作権法により保護されうるのは、同法第二条二項の規定によつてとくに美術の著作物に含まれるものとされる美術工芸品に限られる、と解するのが相当である。

およそ美術は、種々の観点から分類されうるが、美的価値に関する純粋性、ないしは美的価値と効用価値の関係という観点からは、純粋美術・鑑賞美術と応用美術・効用美術とに分けられ、両者は相互に排斥し合う関係に立つものとされる。すなわち、純粋美術は、絵画、彫刻等専ら美の表現のみを目的とするものであるのに対し、応用美術は、単に美の表現のみではなく、装飾又は装飾及び実用の兼用をも目的とするもの、換言すれば、実用に供され、あるいは産業上利用されることを目的とする美的な創作物をいい、(一)美術工芸品、装身具等実用品自体であるもの、(二)家具に施された彫刻等実用品と結合されたもの、(三)文鎮のひな型等量産される実用品のひな型として用いられることを目的とするもの、(四)染織図案等実用品の模様として利用されることを目的とするもの等が、これに属するものと理解されている。

ところで、著作権法第二条第一項第一号にいわゆる「美術」を純粋美術の趣旨に解し、同条第二項をもつて、本来美術の著作物に含まれない美術工芸品をとくにこれに含ませるべく定めた特別規定とみるべきか、はたまた、右にいう「美術」を純粋美術のみならず応用美術をも指すものと解し、同条第二項を単なる注意的規定とみるべきかは、解釈上一個の問題たりうべく、右各規定の文言のみからは、必ずしも十分な決め手は得られないかもしれない。しかしながら、現行著作権法制定の経過をも併せ考えれば、解釈論としては前説を採るのが妥定であろう。すなわち、同法成立に至るまでの過程においては、著作権制度審議会審議記録(一)にもその一端が窺われるように、応用美術をどの範囲まで著作権法によつて保護すべきかが大いに論議されたが、結局、意匠法等工業所有権制度との調整措置の法制化が困難であること、使用者側関係団体に強い反対があつたこと等の事情から、応用美術については、純粋美術に最も近い実体をもつ美術工芸品だけをとくに保護することとしたのである。

以上に説示したところとは異つて、純粋美術と応用美術とは相互に排斥し合う関係に立つ概念ではなく、応用美術作品でありながら同時に純粋美術の性質をも兼有するものがありうるとの前提に立つて、かかるものも美術の著作物に含まれるとする見解が見受けられる。前掲著作権制度審議会審議記録(一)に、「図案その他量産品のひな型または実用品の模様として用いられることを目的とするものについては、著作権法において特段の措置は講ぜず、原則として意匠法等工業所有権制度による保護に委ねるものとする。ただし、それが純粋美術としての性質をも有するものであるときは、美術の著作物として取り扱われるものとする。」(二二頁)、「図案等については、原則として意匠法等による保護に委ね、著作権法においては特段の措置を講じないこととするが、量産品のひな型または実用品の模様として用いられることを目的として製作されたものであつても、それが同時に純粋美術としての絵画、彫刻等に該当するものであれば、美術の著作物としての保護を受けるものとする。」(五七頁)、「産業上の利用を目的として創作されたものであつても、それが純粋美術と同様な意味において美術的著作物にあたるものであれば、美術的著作物として取り扱うこととする。」(三〇四頁)とあるのは、その一例である。しかしながら、この見解において、応用美術作品でありながら同時に純粋美術としての絵画、彫刻等に該当するものと、該当しないものとの境界は、極めてあいまいであり、したがつて、応用美術作品でありながら著作物性を有するものとして、具体的にいかなる態様の作品を想定するのか詳かでないうえ、それが産業上の利用を目的として製作される以上、意匠法等工業所有権制度による保護に値するものであるかぎり、製作者には当該制度を利用する機会は与えられている(この点で、当初は純粋美術として製作された絵画が、後に至つてたまたま産業上利用されるようになつた場合とは、大いに異る。)のであるから、工業所有権制度の調整措置が講じられていない現段階において、にわかにこの見解を解釈論として採用することには、いささか躊躇を感ぜざるをえない。かりに一歩を譲り、この見解を採るにしても、著作権法によつて保護されるべき応用美術作品は、それが産業上利用されることを目的とするという製作意図を一応捨象して、客観的外形的に観察するかぎり、絵画、彫刻等専ら美の表現のみを目的とする純粋美術作品と区別しえず、通常美術鑑賞の対象とされうるものに限定されるべきは、むしろ当然であろう。

3 デザイン書体は、一般に、専ら美の表現のみを目的とする純粋美術の作品とはいえず、また、通常美術鑑賞の対象とされるものでもない。すなわち、文字は、元来、情報伝達のための実用的記号(の一種)であるところ、デザイン書体は、かかる事実を前提に情報伝達という実用的機能をにない、かつ、当該機能を果すために使用される記号としての文字に、美的形象を付与すべくデザインしたものであつて、そのこと自体から、実用に供されることを目的とするものということができる。デザイン書体のうち、印刷用活字・写真植字用文字盤等大量生産を予定する実用品に直接応用されることを目的としてデザインされるタイプ・フエイスにおいては、実用品との関連性は極めて直接的であるが、一応これら実用品との直接関連をはなれて、抽象的に記号としての文字にデザインを施す場合にも、その本質においてはなんらの差異も認められない(なお、デザイン書体が応用美術の分野に属するものであること自体は、原告も自認するところである)。

著作物性を肯定されることのある「書」及び「花文字」も、文字を素材とする美的作品であるという点においては、デザイン書体と異るところがない。しかし、「書」についていえば、文字が毛筆で書かれているからといつて、ただそれだけで著作物性を取得するわけではない。専ら美の表現を目的として書かれ、美術的書となつて、はじめて美術の著作物として保護されるのである。そして、美術的書においては、たしかに文字が書かれてはいるが、それは情報伝達という実用的機能を果すことを目的とせず、専ら美を表現するための素材たるに止まり、そのことによつて、通常美術鑑賞の対象とされるのである。ことは「花文字」についても同様である。文字に装飾が施され、社会的には「花文字」といわれるものであつても、それが書籍のテキスト等に使用され、情報伝達のための実用的記号として機能するものであるかぎり、いまだ著作物とはいえず、絵画ともいえる程度にまで達し、通常美術鑑賞の対象とされるに及んで、はじめて美術の著作物として保護されるものというべきである。そして、ここに至れば、その文字は実用的記号としての性格を喪失するのである。したがつて、「書」及び「花文字」に著作物性を肯定される場合があるからといつて、これをもつて、デザイン書体が著作物たりうることを理由づける根拠とすることは、できないものというべきである。

そして、デザイン書体が美術工芸品に該当しないことは、説明するまでもない。

三のみならず、〈証拠〉によれば、本件各文字及び本件文字セツトは、単にデザイン書体であるというに止まらず、一九六九年から翌七〇年にかけて、原告が、写植機及び写植用フイルムの販売を業とするフアクシミル・フオト・タイプ社の注文に応じ、いずれもタイプ・フエイスとして製作したものであることが認められるのであり、これに反する証拠はない。

四そうすると、以上、説示してきたところにより、本件各文字及び本件文字セツトは、いずれも著作物性を有しないものというべきであり、それらが著作物であることを請求の原因の一部とする原告の本訴各請求はその余の点につき判断するまでもなく、すでにこの点においてすべて理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(秋吉稔弘 佐久間重吉 安倉孝弘)

第一目録

A 「ヤギ・ボールド」と称する一連の装飾文字

1 著作物の内容は左のとおりである。

以下、目録〈省略〉

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